ドキュメンタリー映画「哲学への権利——国際哲学コレージュの軌跡」上映+討論会

駒場の研究者,西山雄二先生監督による映画の上映会が行われますね.

ICUは武藤康平君が主催です.

12月21日(月)上映=13:00–14:35/討論=14:40–15:30
ICU 国際基督教大学 H-316(本館3階)
地図:http://www.icu.ac.jp/info/facilities.html#1
討論「大学の理念、そして制度――映画『哲学への権利』とともに」
ゲスト:佐野好則(ICU
主催:武藤康平(ICU

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2009/12/related_event_a_documentary_fi_1/

立花隆最終講義@駒場祭

立花さんの「最終講義」である講演が,駒場祭でありました.
 テーマは「二十歳の君へ」.立花ゼミが10数年前に始まって以来,「二十歳の大学生」はずっとテーマでした.駒場の学生というのはちょうどそういう時期にあたるからです.
 『二十歳のころ』という本を過去にゼミで出版するにまで至っています.二十歳というのは非常に感受性が強い不安定な時期で,今,ここで何をするかということが,その後の人生に大きく影響するそういう時期なのです.『二十歳のころ』は,各界の様々な方の「二十歳のころ」をインタビューして回り,何らかの共通しているけれども多様なパトスを,世代ごとで見ようという企画です.
 今回の講演は,ゼミでずっと取り組んで来たその「二十歳」というテーマを総括するものだったと言うことができるでしょう.

 「二十歳の君へ」というテーマは非常に射程範囲が広い.その中で立花先生はよくもあのような形でまとめあげたな,と正直に思います.講演内容は癌の話からゼミを開いてきた経緯,教育の話,世代の話,歴史の話,宇宙の話,脳の話,とやっぱり多岐にわたりました.
 歴史の話をしていたかと思うと,急に宇宙の話に飛ぶ.そういう射程の広さが立花隆なんだし,今回の講演でもそれが全面的に出ました.「あぁ,立花隆だな」としみじみ思わされる内容でした.
 さまざまな領域のことが互いに関連しているということが重要なのです.彼のリサーチした色んな分野のことは立花隆という一人の人間の中でネットワーク化されている.キーワードは「今,ここで,何を」ということなのだと思います.それが「二十歳の君」が「今,ここで,何を」するのかということとも関係しています.立花隆のジャーナリズムの活動は,すごく多岐な分野にわたるわけだけれども,すべて,私たちは「今,ここで,何」なのかという,根本的な好奇心に結びついているわけです.

 個人的には,歴史の話が一番面白かったです.やはり,立花隆はジャーナリストで,歴史を今にどう活かすかが重要だ,というスタンスです.今のアクチュアルな情報には非常に敏感でなければならない,それがジャーナリズムだし,今回で言うと,ポスト・コールド・ウォー・キッズという考え方,オバマの日中訪問の意味,20世紀の終わりの意味,戦争の話,フランス革命の話は「すべて」,今をどう生きるのかというということを考えるためにあるのです.

 最後は脳の話で締めくくられました.二十歳の頃は,まだ脳が未発達で,シナプスの回路が頻繁につなぎ変えられるらしいです.脳波が不安定で,子供の時期.大人になると,脳波というのは安定してくるらしいです.同時に,柔軟性が消えていく.
 二十歳の脳が柔軟な時期に何をするかということが,科学的にも重要なのです.「二十歳前後の人は皆,病気」なのだと立花先生は,現場の学生に触れた上でおっしゃる.そういう多感な時期だからこそ,オウムや連合赤軍にも行ったりしたのだと.どういう方向性に行くかは,時代が非常に関係している.時代がちょっとズレれば,すごいことがおこるのです.それは,僕が調べてきた全共闘時代でもそうでした.そして,時代というのは,簡単に変わるものなのです.時代がポンと変わると,それまでは夢にも思わなかったことが起こる.それは歴史を見ると明らかです.

 今の時代,現代は先がよく分からない時代,良く言えばそれまで夢にも思わなかった何かが起こりそうな時代.そういう時代に二十歳の僕たちはどうしていけばいいのでしょうか?
 立花先生はただ「目の前のことにチャレンジしろ」と言う.それは,駒場祭で配布されたパンフレットに掲載された様々な人の「二十歳の君への宿題(アドバイス)」を見ていても,皆そう言っています.
 未来というのは根源的に予測不可能だし,世界というものに絶対なものはないのです.これは,人間,皆そうなのです.立花先生は「ただ,人生の残り時間を意識して「走り続ける」しかない」と言う.「こうしたらいい」という答えはないのです.答えはただ「分からない」と言うことなのです.
 「分からない」からこそ,様々な可能性が満ちている,それが「二十歳のころ」なのです.そして「分からない」からこそ,様々な目の前のことに全力でコミットしてごらん,と.それが立花先生から僕たち若者に発せられた,「二十歳の君へ」の最後のメッセージなのかもしれません.

『情況』11月号発売

情況 2009年 11月号 [雑誌]

情況 2009年 11月号 [雑誌]

『情況』11月号は発売しました.今回は選挙特集です.

色んな雑誌で選挙特集がなされていますが,こういう感じでできるのは『情況』だけだと思います.

今回,僕は,宮台真司さんのインタビューでお手伝いをしました.

表氏の連載も続いています.私の友人ということになっている田口さんがデビューしています.

是非ご覧下さい.

Puff, the magic dragon

Peter,Paul and Mary (PPM)というフォークグループがあります.当時,ベトナム戦争などを背景に,公民権運動にも参加したグループです.そのグループのMaryさんが先日(9月16日),がんのために亡くなりました.以下は,PPMのPuff, the magic dragonを訳してみたものです.

教えてもらった友人(→http://d.hatena.ne.jp/edouard-edouard/20090920)に感謝.

☆☆☆

パフという魔法の竜は海の近くに住んでいて,
オーナー・リー(注:お伽の国の名前)と呼ばれる島の秋の霧の中ではしゃいでいました.(*)

ジャッキー・ペーパー少年はわんぱくなパフが大好きで,
糸やロウやオモチャを持ってきていました.

(*繰り返し)(*繰り返し)

一緒に彼らはボートで大波がうねり立つ航海をしたものでした.
ジャッキーは見張り役をし続けるのに,パフの巨大なしっぽに乗りました.
高貴な王や王子であっても,彼らがやってきたところならどこでもおじぎをするでしょう.
海賊船であっても,パフが自分の名前を唸れば白旗をおろすでしょう.

(*繰り返し)(*繰り返し)

竜は永遠に生きます.けれど,少年はそうはいきません.
色の塗られた羽と大きなリングは他のおもちゃに道をゆずります.
ある灰色の夜に突然,ジャッキーはもう来なくなりました.
それからというもの,強き竜パフは人をも畏れぬ唸り声をあげなくなりました.

彼の頭は哀しみで折り曲がり,緑のウロコは雨のように剥がれ落ちました.
パフはもう桜の小道にぶらぶらと遊びにいくこともありません.
生涯の友なくしては,パフは勇気も出ないでしょう.
だから,強き竜パフは悲しく,自分の洞穴に退いてしまったのでした.

(*繰り返し)(*繰り返し)

☆☆☆

 フォークソングは青春の曲です.この「パフ」には色々な意味が込められています.
 舞台はオーナー・リーというお伽の国で,「パフ」という名前は竜の不思議な息や鳴き声に由来しているらしいです.少年ジャッキー・ペーパーと死なない竜パフとの楽しいひとときの交流が描かれています.竜の背中に乗って世界に旅立つジャッキー少年.生き生きとした光景ですね.この曲はアメリカを中心に大ヒットし,アニメが作られるまでになっています.
 パフは死なない竜ですが,ジャッキーはそうはいかず大人になります.いつまでもパフと遊んでいるわけにはいきません.ある夜,パッタリとジャッキーはパフのところに遊びにこなくなってしまいます.パフとジャッキーのすれ違いがなんとも悲しいです.が,これは世の中の一つの真理を示していると言えるのです.
 君たちは今,ジャッキー・ペーパーでしょうか.けれども,人はいつか大人にならねばならないのです.そのとき,パフのもとを去らねばなりません.けれど,これは仕方のないことです.時間がたてば人は変化します.1年で体中の細胞が全て生まれ変わるように,人間関係も生まれ変わります.変わることを恐れてはいけません.
 人は皆,ジャッキー・ペーパーなのです.それに,これから先の長い人生,君たちがパフの立場になることもあるでしょう.ジャッキー・ペーパーに去られたパフも,新しい「ジャッキー・ペーパー」を見つけねばなりません.人は皆,ジャッキー・ペーパーであり,パフなのです.
 一年間ありがとう.君たちはこれから新天地に進みます.勇気を出して旅立ちましょう.人は時間とともに変わっていかねばなりません.けれど……,たまにはパフと過ごした懐かしい時間を思い出してくれれば嬉しいです.それで,大学での生き生きとした新しい生活を僕のところに自慢しにくる,そういう大学生になって下さい.皆ひとりひとりを心から応援しています.

☆☆☆

 一年間してきた塾の仕事が,一回りしました.これは僕の最終ガイダンスです.それもまた,友人によるPuffの紹介という人のつながりがあってはじめて可能になったものです.
 高校生の大半はその最後の時期に受験という一大行事にコミットしなければなりません.受験勉強は,勉強の面白みを真に理解している者からすれば,本質的にバカバカしいものです.だから,これはある種の不条理です.けれど,不条理を批判するには,その不条理を乗り越えなければならないのです.そして,僕は人生を狭くもしかねないその受験勉強に彼らを駆り立てるという,これもまた不条理な立場にいるのです.
 このことにずっと悩んでいました.自己矛盾です.けれども,現実は現実として受け入れなければならないのです.だって,不条理を乗り越えた者じゃないと,不条理は批判できませんから.

 生徒たちには,今を楽しんで生きて欲しい,そう思っていました.ちょうど一年前,授業が始まった頃です.「学校が楽しいです.今が本当に楽しいです.」そう言っていた女の子がいました.彼女は英語ができない生徒でした.
 その女の子は,一年たった今,考えが変わったと言います.一年前の自分は間違っていました,と.やはり,将来のことを考えて今を生きないといけませんよね,と.
 そうです.ジャッキー少年は大人になっていくのですね.けれども,もしかしたら,それは少しだけ,寂しいことなのかもしれません.

スペース研究会<超>合宿,終了と総括

表三郎氏主宰,スペース研究会の夏合宿である<超>合宿が無事,終了いたしました.

彼の主著である『スーパー英文読解法』の上・下の10題(正確には9題)を3日間かけて徹底的に読みました.
本合宿が『<超>合宿』である理由は,『スーパー英文読解法』の序文をもじって作った以下の文章にあります.

本合宿の目標は,英文を読んで理解するとはどういうことかを,通常考えられる程度をこえて,徹底的に追求することである.本合宿の表題に<スーパー=超>と冠した理由はこれなのだ. 夏合宿は春と異なり,『スーパー英文読解法』自体を徹底的に読み込むことだけに集中することとした.そうすることにより,今回は,活動的な大学生たちだけではなく,熱心な予備校生からも参加者を募ることとし,大学生と予備校生の垣根を<超>える.予備校生たちは活動的な生を歩んできた大学生たちを目の当たりにすることとなるし,大学生たちは予備校生たちの熱心さに心打たれることとなろう.本合宿がはたして<超>となるかどうかは賢明なる大学生,予備校生たちのふるった参加を待つ以外にない.

「通常考えられる程度をこえて,徹底的に追求すること」.我々はこのことをどこまで達成できたでしょうか.さらに,<超>というのは,世間的な「通常」を<超>えることだけではなく,自分の中にある壁を<超>えることをも同時に意味します.何かを徹底的に追求すれば,変わるのは自分なのです.そして,それは一人ではできません.合宿や勉強会のような,多が集まるところだからこそ,個は空間的な相互作用を起こし,化学反応に至るのです.

一日目はハプニングにより,表氏が来られませんでした(そのせいで計画が丸崩れし,僕は一日不機嫌でした・笑)が,僕はそれが結果的に良かったのではないかと考えています.
表氏がいれば場の磁力は完全に彼が中心のものとなります.彼がいなかったことでかえって,僕らは自分から答えを探す姿勢をもち,能動的に議論することができたのではないでしょうか.
「答え」はあるものではありません,見つかるものでもありません.自分たちで作っていくものなのです.そういう意味で,僕は1日目にこそ価値があったと思うし,その後,答えを見つけて頭がすっきりした人も,そこでとどまらずに,自分なりの「答え」を探し続けてほしいのです.

僕なりに,今回の合宿でとくに議論の的となったテーマを用語であげておきたいと思います.

言語(と断絶).芸術(は驚き).普遍性(人間的な).死(そして無からの創造).

皆さま,3日間ありがとうございました.引き続き,スペース研究会をよろしくお願いいたします.

CHANGE THE WORLD

もし星までボクの手が届くとしたら,
ひとつ,君のために取ってきて,
ボクの心にその光を照らすだろうに,
そうすれば,あなたが見られるだろう真実は,
ボクの内側に秘めたこの愛が全て,なのかもしれないということだ.
けれど,今のところは,それはただボクの夢の中にあるだけなのだろうね.

もし,ボクが世界を変えられるとしたならば,
ボクはキミの宇宙の中の太陽の光になるだろうね.
キミはこう思うだろうね.ボクの愛は本当に良いものだって,
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.

それから,たった一日でもいい,もしボクが王様だとしたら,
キミをボクの女王だと見なすだろうに.
だって,他にとれる方法はないだろうから.

それで,ボクたちの愛が支配するのは,
ボクたちの作ったこの王国なのだろうに.
そのときまでは,ボクはバカでいるだろうね.
そして,そのときのために,僕が望むのは……

ボクは世界を変えられるということなんだ.
そのとき,ボクはキミの宇宙の中の太陽の光になるだろうね.
キミはこう思うだろうね.ボクの愛は本当に良いものだって.
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.

もし,ボクが世界を変えられるとしたならば,
ボクはキミの宇宙の中の太陽の光になるだろうね.
キミはこう思うだろうね.ボクの愛は本当に良いものだって.
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.
あぁ,キミ,でもそれは,ボクが世界を変えられるとしたならばの話なのだけれど.

Eric Clapton,CHANGE THE WORLDより)

 Eric Claptonで有名なナンバー,CHANGE THE WORLD.最近,ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(Change the world without taking power)を読みましたが,Change the worldといえば僕が思い浮かぶもう一つのものはこれです.印象的なフレーズであるIf I could change the world…は仮定法です.世界を変えろと一見明るい題名に見えるこの曲なのですが,よく歌詞を見てみると,仮想現実の世界なのです.「もし,世界を変えられるとしたならば,こうなのにな」と,自分の意志とは裏腹に変わらない世界を嘆く曲でもあるように思えます.

 このような詩的な文章でも,英語の文法は意外にもキッチリしています.僕の訳では,仮定法をキチンと意識すること(書き手の心の中での仮定法),それから,前から順番に訳すことに気をつけました.語順を崩してしまうと,曲の良さが崩れてしまいます.この曲のミソはIf I could change the worldと後から条件が付け足されるところなのです.「色々言ってきたけれど,ボクが世界を変えられたらという仮定の条件の下での話なんだ」という感じです.巷の訳はけっこう誤訳が多いです.

 ちなみに, Claptonの曲はカバーでオリジナルはWynonna Juddという人.原曲はqueenとkingが入れ替わっているのが面白い.

http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/CHANGE-THE-WORLD-lyrics-Eric-Clapton/1B751CCA200698AE482568770034966E

http://www.azlyrics.com/lyrics/wynonnajudd/changetheworld.html