立花隆最終講義@駒場祭

立花さんの「最終講義」である講演が,駒場祭でありました.
 テーマは「二十歳の君へ」.立花ゼミが10数年前に始まって以来,「二十歳の大学生」はずっとテーマでした.駒場の学生というのはちょうどそういう時期にあたるからです.
 『二十歳のころ』という本を過去にゼミで出版するにまで至っています.二十歳というのは非常に感受性が強い不安定な時期で,今,ここで何をするかということが,その後の人生に大きく影響するそういう時期なのです.『二十歳のころ』は,各界の様々な方の「二十歳のころ」をインタビューして回り,何らかの共通しているけれども多様なパトスを,世代ごとで見ようという企画です.
 今回の講演は,ゼミでずっと取り組んで来たその「二十歳」というテーマを総括するものだったと言うことができるでしょう.

 「二十歳の君へ」というテーマは非常に射程範囲が広い.その中で立花先生はよくもあのような形でまとめあげたな,と正直に思います.講演内容は癌の話からゼミを開いてきた経緯,教育の話,世代の話,歴史の話,宇宙の話,脳の話,とやっぱり多岐にわたりました.
 歴史の話をしていたかと思うと,急に宇宙の話に飛ぶ.そういう射程の広さが立花隆なんだし,今回の講演でもそれが全面的に出ました.「あぁ,立花隆だな」としみじみ思わされる内容でした.
 さまざまな領域のことが互いに関連しているということが重要なのです.彼のリサーチした色んな分野のことは立花隆という一人の人間の中でネットワーク化されている.キーワードは「今,ここで,何を」ということなのだと思います.それが「二十歳の君」が「今,ここで,何を」するのかということとも関係しています.立花隆のジャーナリズムの活動は,すごく多岐な分野にわたるわけだけれども,すべて,私たちは「今,ここで,何」なのかという,根本的な好奇心に結びついているわけです.

 個人的には,歴史の話が一番面白かったです.やはり,立花隆はジャーナリストで,歴史を今にどう活かすかが重要だ,というスタンスです.今のアクチュアルな情報には非常に敏感でなければならない,それがジャーナリズムだし,今回で言うと,ポスト・コールド・ウォー・キッズという考え方,オバマの日中訪問の意味,20世紀の終わりの意味,戦争の話,フランス革命の話は「すべて」,今をどう生きるのかというということを考えるためにあるのです.

 最後は脳の話で締めくくられました.二十歳の頃は,まだ脳が未発達で,シナプスの回路が頻繁につなぎ変えられるらしいです.脳波が不安定で,子供の時期.大人になると,脳波というのは安定してくるらしいです.同時に,柔軟性が消えていく.
 二十歳の脳が柔軟な時期に何をするかということが,科学的にも重要なのです.「二十歳前後の人は皆,病気」なのだと立花先生は,現場の学生に触れた上でおっしゃる.そういう多感な時期だからこそ,オウムや連合赤軍にも行ったりしたのだと.どういう方向性に行くかは,時代が非常に関係している.時代がちょっとズレれば,すごいことがおこるのです.それは,僕が調べてきた全共闘時代でもそうでした.そして,時代というのは,簡単に変わるものなのです.時代がポンと変わると,それまでは夢にも思わなかったことが起こる.それは歴史を見ると明らかです.

 今の時代,現代は先がよく分からない時代,良く言えばそれまで夢にも思わなかった何かが起こりそうな時代.そういう時代に二十歳の僕たちはどうしていけばいいのでしょうか?
 立花先生はただ「目の前のことにチャレンジしろ」と言う.それは,駒場祭で配布されたパンフレットに掲載された様々な人の「二十歳の君への宿題(アドバイス)」を見ていても,皆そう言っています.
 未来というのは根源的に予測不可能だし,世界というものに絶対なものはないのです.これは,人間,皆そうなのです.立花先生は「ただ,人生の残り時間を意識して「走り続ける」しかない」と言う.「こうしたらいい」という答えはないのです.答えはただ「分からない」と言うことなのです.
 「分からない」からこそ,様々な可能性が満ちている,それが「二十歳のころ」なのです.そして「分からない」からこそ,様々な目の前のことに全力でコミットしてごらん,と.それが立花先生から僕たち若者に発せられた,「二十歳の君へ」の最後のメッセージなのかもしれません.