つつましやかな箱

終戦記念日(もしくは敗戦記念日,人によって呼び名が違う)を含む数日,数年ぶりに母方の実家である愛媛の新居浜に帰りました.

祖母は82歳になるらしいのですが,元気でした.祖母には若かりし頃からずっと続けていたお店があって,今も続けています.それが祖母がボケずに元気にやっていける理由なのかもしれません.人は生き甲斐がなければ,生きてはいけないものです.脳や体は使い続けなければすぐ衰えてしまいます.ですが,継続は力なりというのでしょうか,使い続ければいつまでも元気なのです.

新居浜は四国で5本の指に入る港町だそうです.お盆にも関わらず,海運関係の労働者が店に来ていました.まさに彼らはプロレタリアートという感じで,港湾では今でも組合運動などが強いみたいですね.



新居浜の実家の裏側には海が広がります.まさに港湾ですね.そこの港で資源を積んだり降ろしたりしているのです.最近はボーキサイト環境保護の観点から(海が赤くなるらしい)取引量が少なくなってきているとか,港湾関係の話を聞きました.彼らは外国船とやり取りするらしいので,共通通貨はもちろんドルだということです.海の向こうはもう別世界なのです.

新居浜はJRが通っていますが,田舎です.東京とは全然違います.東京の喧噪に毎日包まれて生活している僕としては,数日でも,こういった土地で時間を過ごせることは,安らぎになるのです.

毎朝,祖母はお店を開けますが,起きていないときは近所の常連の方が裏手から声をかけてくれるらしいです.死んでいないかー,大丈夫かーって.地縁的な結びつきがいいなぁ,って思います.縁側でお茶を飲みながら永眠していても,馴染みの郵便屋さんが発見してくれるような感じです.

そうは言っても,東京一極化というか,文化の均質化は着実に進んでいます.新居浜駅から歩いていける場所にファミリーマートがあります.何となく気分からカップラーメンを買って食べました.とくに大きいのはイーオンでしょう.都市圏と全く同じものが建っていて,地域の経済圏を統合している感じです.入っている店も同じです.ヴィレッジ・ヴァンガードもある.祖母は高頻度でイーオンに足を運ぶそうです.何より,便利なのだ,と.


祖母,祖父の世代は戦争体験世代です.もしかしたら,僕らは戦争体験世代に話を聞ける最後の世代なのかもしれません.世代の隔絶というのは,日々,進行しています.もし,あの戦争がもう少し長く続いていたら,僕たちはこの世にいないのかもしれないのです.

祖父はもうこの世にいません.僕が大学に受かったという吉報を祖父が聞いてさえいれば,と祖母はずっとこぼしていました.その謂いが全くのナンセンスであることは,本人も分かっているにも関わらず.

祖父について,祖母と話をしました.戦争の話はもちろんあります.僕の祖父は当時,飛行機に乗っていました.特攻の部隊にいたそうです.しかし,飛行機の事故で足をダメにしてしまったことが原因で,通信手に回ったといいます.もしあのとき事故がなかったら,おそらく僕はこの世にいないです.もちろん,そんな反実仮想は全くのナンセンスでしょう.歴史にイフは許されないのですから.

祖母の店には,祖父の手作りの木の箱が電話機の横に大事そうに置かれています.昔,お客さんに電話代を入れる箱として使っていたものです.ウチの祖父は色んな「凝ったもの」が趣味で,昔はカメラをいじったり,一方で,孫の僕らに教えてくれるくらい手品も好きだったり,その一方で,切手収集や,その他にも多分,機械いじりなんかも好きだったのだと思います.芸の細かい人だったのです.その祖父が残した木の箱です.電話代の10円玉を入れる箱で,鍵がかけてあります.



歴史を感じさせますが,その鍵の番号を残しておくために,祖父が箱の裏に書いたメモ書きが今でも鮮明に残っています.



僕には分からない暗号だけれど,

通信手をしていた祖父には分かる「暗号」なのです.

もう鍵は開きません.もうこの世にはいない祖父のみが本当の番号を知っているのです.

その木の箱は今でも,祖母の店の電話機の横に,つつましやかに置かれています.