立花隆「「政治家」小沢一郎は死んだ」

文藝春秋 2010年 03月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 03月号 [雑誌]

大学の授業が終わりました.駒場では,先学期,立花隆によるゼミナールが開かれていたのですが,立花さんももう「人生の残り時間が大事な時期に差し掛かっている」ということで,最後のゼミになりました.

立花隆氏が今月号の文藝春秋(3月特別号)に「「政治家」小沢一郎は死んだ」という記事を書いているのですが,ゼミの最終授業がその記事の内容になっています.日本の未来のことを考えるには,若者のことを考えなければならないが,そういったとき「いまさら小沢一郎でもないだろう」と言い切ってしまうすごみが立花氏にはある.

上の世代には,「もう君たちの世代だから」と,いわゆるジェネレーションギャップを埋めようと対話しようとする老人が果たしていかほどいようか.ちょうど,先月号の文藝春秋にも,池上彰氏が若者と対談している記事が載っていた.「二十歳の若者が語る明日」という記事だ.僕も良く知っている中島くんという法政大学の男の子が「経済成長なんかぶっちゃけどうでもいい」とぶっちゃけて語っている.これはすごい.

立花ゼミ最終授業では,立花さんが用意した質問にゼミ生が答える形でアンケートが取られた.日本の政治に対しての意見だ.そのアンケートが記事にはふんだんに使われている.引用された記事を書いた人は,何年生まれかが記載されているが,ゼミに2人いる87年生まれのうちの1人が僕なので,いくつかの引用されたアンケートは僕の手によるものだ.見れば言葉遣いでバレるかもしれない.

「「政治家」小沢一郎は死んだ」の読みどころは,全共闘世代のところであろう.

全共闘の戦士も太平洋戦争の兵士も一緒くた」という表現にはビックリしたが,安田講堂攻防戦からもう四十年余.彼らが生まれる二十年も前の話だから,そうなるのかもしれない.実はこのゼミが一昨年の駒場祭全共闘時代を語るシンポジウムを行ったところ,現役の学生はほんの少数しか来ず,集まったのは全共闘世代がもっぱらだった.このとき現役学生のアンケート調査もやったが,基本的に関心は薄く,あの闘争を「大いに評価する」とした人はきわめて少数(実数六名)だった.いまの民主党政権の中枢には全共闘世代がかなり入っており,いまも「気分は全共闘」の人がいる.だから,政権奪取をもって「無血革命」だなどと喜んだりする.しかし,もっと若い連中には,そういう認識は全く見られない.そもそも,彼らは政治を冷めた目で見ている.(111-2頁)

もはや,世代ということ自体が,これからの世代にはどうでもいいのかもしれない.
流動化する現代で,まったりと生きられないおっさんたちは,下の世代を見ないようにして(つまり<差異>を見て見ぬふりをすることによって)生きていくことが一番楽なのかもしれない.だからこそ,立花氏や池上氏やその他,若者と対話できるおっさんたちにはとても敬意がある.そういうパラダイムシフトを成し遂げてしまうおっさんに僕もなりたい.

立花氏の記事はこう締めくくられる.

 五問目は「あるべき未来の政治システム」について聞き,六問目は「いま解決が迫られている政治アジェンダ」について聞いた.その内容を伝えるスペースはないが,議論は夜中までつづき,さらに翌日以降もメールやツイッターで議論が白熱した.一言でいうなら彼らは今の諸政党を全く評価していないし,現行政治システムはダメで,抜本改革が必要だと思っている.私もそう思うが,彼らの議論を聞いていると,未来の日本はいまより希望が持てそうだなと思った.(116頁)

本当にそうだろうか?
けれど,これは,最後の授業の想い出です.少しだけ,目頭が熱くなった.

リンク(3月号):http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
リンク(2月号):http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju1002.htm