ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一章「贈り与える徳」より
これらのことばを語りおえると,ツァラトゥストラは口をつぐんだが,何かまだ最後のことばを言わなかった人のようであった.しばらくかれはためらうように,手にした杖をうごかしていた.ついに,かれはこう言いはじめた.——その声色は変わっていた.
いまは,わたしはひとりで行く.弟子たちよ.あなたがたもいまは別れて,ひとりで行きなさい! それがわたしの希望だ.
(……)
いま,わたしがあなたがたに求めることは,わたしを捨て,あなたがた自身を見いだせ,ということだ.そして,あなたがたがみな,わたしを知らないと言ったとき,わたしはあなたがたのところに戻ってこよう.
まことに,兄弟たちよ,そのときはわたしはいまとは違った眼でもって,わたしの失われたものたちを尋ね出すだろう.いまは違った愛をもって,あなたがたを愛するだろう.
そして,いつかは,またあなたがたがわたしの友となり,同じひとつの希望の子となる日がくるだろう.そのときは,わたしは三度あなたがたを訪ねよう.大いなる正午をあなたがたがとともに祝うために.
大いなる正午とは,人間が動物から超人にいたる道程の中間点に立って,夕べに向かう自分の道を,自分の最高の希望として祝い讃えるときである.それは新しい朝に向かう道でもあるからだ.
そのときは,没落する者も,かなたへ超えてゆく者として,自分自身を祝福するだろう.そのとき,かれの認識の太陽は,かれの真上に,天空の中心にかかっていることだろう.
「すべての神々は死んだ.いまや,わたしたちは超人の生まれることを願う」——これを,いつの日か,大いなる正午の到来したとき,わたしたちの遺言としよう!——
ツァラトゥストラはこう言った.
(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った(上)』氷上英廣訳,岩波文庫,131-3頁.)
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塾の1月生が終了しました.講師をやっているってこんなに楽しいんだなって,実感した日.ずっと忘れないでしょう.
皆,ありがとう.