『情況』「なぜ今,全共闘か」発売!

情況 2009年 09月号 [雑誌]

情況 2009年 09月号 [雑誌]

http://situation.main.jp/

『情況』という雑誌があります.僕は,予備校で習っていた表三郎さんという方のつながりがあって,世に言う右翼・左翼の世界と関わるようになりました.『情況』はその左派系の雑誌社です.

その『情況』の8,9月合併号に僕が特集を組むことになり,それが今日,発売です.小さな書店にはありませんが,大きめの書店(例えば,紀伊国屋など)に行けばあります.もしくは,Amazonではいつでも買えます.是非,チェックしてみて下さい.

内容は全共闘特集です.そもそもは,東大での立花隆という人のゼミナールで,全共闘について調べようと企画が立ち上がったことが始まりです.全共闘とは全学共闘会議の略.Wikipediaなどを見てもらえればわかりますが,要は学生運動の組織です.その全共闘という組織の運動が一番高まったのが1968年,69年にあたり,2008〜09年はそのちょうど40周年にあたります.それに合わせて各地でイベントが開催されていますし,出版物も出ています.(小熊英二さんも最近本を出しました.)当時,学生運動をしていたメインの層は大学生ですから,彼らは今ちょうど,定年退職の時期です.世に言う段階の世代と年代的には重なります.

今,大学ではほとんと見られなくなった学生運動ですが,その歴史は実はそれなりに長いです.全共闘運動と引き合いに出されて語られるのが全学連運動ですが,こちらは1960年前後にあたります.さらに,これより前や戦前まで学生運動というのはあります.歴史的に見れば,もしかしたら,社会に対して積極的な主張を行わない大学生というのは異常なのかもしれません.もちろん,社会の状況も大学生の状況も今とはずいぶん違うので一概に論じることはできませんが.(全共闘運動の歴史などについては,立花ゼミの活動の成果である,http://kenbunden.net/student_activism/をご覧下さい.)

昨年の東大の駒場祭(大学祭)にて「今語られる東大,学生,全共闘」という名目で40年前を振り返るイベントを行い,立花先生の講演や「全共闘世代と東大生の対話」を企画したことが大きかったです.今回,『情況』の特集の最初に載せられている立花氏の講演はそのときの書き起こしのものになります.立花先生の講演は(僕らの頼みもあり)あまり運動のことを知らない人にでも伝わるように分かりやすい言葉で説明してくれています.運動のことを知らない方は,まずここからお読みください.

僕は,その立花ゼミでの活動の延長として,様々なイベントに出入りし,様々な方にインタビューするという活動を続けていました.(今も続けています.)やはり今では考えられない世界の体験を,様々な立場の方にインタビューするというのはとても楽しいです.世界は一つではないのだということを毎回感じさせられます.とくに,全共闘運動の時代—熱かったあの時代(だと少なくとも多くの人がおもう時代)—に関しての検証は進んでいません.皆,色々な立場から色んな角度であの運動に参加しました.当事者によって,見え方が違うのは当然です.現実とは決して単純ではなく,非常に多面的なものなのです.今回の特集で言えば,島薗先生,荒さん,千坂さんは僕の活動の延長上で取材させてもらったものです.

島薗先生は東大の宗教学の教授です.教授の立場でありながら,僕らの取材に熱心に答えて下さる,感銘を受けました.お気づきの方はお気づきでしょうが,学生運動というのは社会的な風当たりが強いです.全共闘運動では「帝大解体」が叫ばれました.大学なんか解体されればいい,という過激なものです.もちろん,その理由としては,当時のベトナム戦争などの「帝国主義戦争」に大学が加担している,という重大な問題を含むわけで,「過激なもの」を過激だという理由だけで切り捨てることはできないことは自明です.過激というのは英語でradical(ラディカル)ですが,これは語源的にはradic=根があり,根っこから,つまり根本的にという意味と同義です.根本的な思考というのは人間が生きる上で重要です.そんな「過激な」活動をやっていた学生が,運動が後退して大学に戻るのには,引け目があるわけです.自分たちが批判した大学に自分が収まるのか,と.これは,就職した人も同様で(全共闘世代の大半は就職しました),自分たちが批判した社会にノケノケと適合して生きていくのか,ということです.(この辺り,千坂さんのインタビューなどを見ても,よく分かるでしょう.)つまり,研究者として大学に戻る道を選ぶということは,一つの自己矛盾なわけです.それが興味深い.島薗先生はもともと理III(日本の大学の学部では最高峰の医学部進学コース)に所属していました.けれど,その後,彼は医学部には進まず,宗教学の道を選ばれたわけです.そういった部分を分かった上で,彼のインタビューを見てみて下さい.

厨先生と内海先生の対談は,実は,僕が全共闘企画を始めたあたりに見に行ったイベントにことを発します.「僕たちと同じことをやっているやつらがいるらしい」,しかも会場は(僕が住んでいる)駒場だったわけです.イベントを見にいって,そのやりとりは大変面白かっただけではなく,すごかったのは,乱入してきた学生のパフォーマンス.中島君という彼は内海さんの教え子で,法政大学の学生なのだが,表現活動に力を入れていて,学生運動をネタにしたとんでもないパフォーマンスを行う.僕はそんな彼に惚れ込んで,仲良くなったのでした.こうして,人の輪が広がっていきます.(立花ゼミの企画の一環で,中島君を含めた座談会を行いました.その記録はこちら.→http://kenbunden.net/student_activism/articles/expressive また,あの鈴木邦男さんも中島君に惚れ込んだらしく,自身のブログにて熱心に紹介されています.→http://kunyon.com/shucho/090511.html

荒さんは『情況』つながりで知り合いました.第一印象からかっこいいかただなという印象はありましたが,さすがは当時のスターでした.彼は東大安田講堂に立てこもった一員でもあります.今は,運動からは一線を退いておられますが,当時のパッションは生きていると思いました.そんな彼に保守系(=世に言う右翼)の若者たち,それから千葉大の院生で学生運動に興味を持つ女の子を引き連れてインタビューに行きました.保守系の若者である彼らは某雑誌社に出入りしていて,ある種,僕の『情況』とポジション的に被るのですが,そういった雑誌社の利害関係もあるらしく,今回は匿名掲載となりました.新たな運動(ムーブメント)が湧き起こってくるには,左翼も右翼も,革新派も保守派も連帯してやっていかねばなりません.そういったなか,考えさせられるインタビューになったのではないかと思います.

最後に,千坂さんはとんでもない方で,mixi上で知り合ったのですが,ガイストさんという名前ですさまじく執筆活動をされています.大阪に帰省した際に彼に取材させてもらったものの一部を掲載させてもらったのですが,これが非常に面白いです.とんでもないことを語りまくりです.例えば「当時バリケードって堅苦しいところやと思ってたやろ? ちゃうねん,合コン会場やってん」と大阪弁で非常にユーモラスに当時の体験を語ってもらいました.やっぱり人間ってそうそう変わらないんだって思わされました.彼個人的には,やはりものすごい思想家なので,今回のインタビューは思想面が語れずに多少不満そうではありましたが,今回,それはご容赦ください.

その他,今回,僕が直接関わったわけではありませんが,市田氏のアナーキズム講演は現代的な課題をとらえたものだし,長崎氏(当時のスター)の「叛乱論」論も当時のメンタリティーが分かる貴重なものです.最首さんは東大全共闘と言えば必ず名前が出てくる大物ですが,彼の若い頃の論文を掲載するに至りました.当時から彼の仙人さは変わらないみたいです.また,僕の研究会の同輩である岡田くんが『超訳資本論」』的場先生(マルクスの研究者,日本ではマルクス研究と言えば彼だろう.)にインタビューしているものも載っています.

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